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ドレスデンの画家:オットー・ディックスと新即物主義

12 24 *2011 | ■美術史::西洋

は~明日の6時の列車に乗らないといけないのに
何も荷造り終わってない!

ファイル 38-1.jpg

というわけでドレスデンベルリンに行ってきます~
写真は9月末に行ったときの写真です
フラウエンキルヒェの前は日陰ナッシングで超炎天下でござった

ドレスデンは4回目です~
始めはドレスデン別にそこまで好きじゃなかったのに、
だんだん愛着が湧き始めましたw
というかドレスデンは第一印象が最悪だったんだよね~
最初に行ったのが真冬でさ~超寒いし閑散としてるし、おまけに目当てのアルベルティーヌムが
当時改装工事中で入れなかったというオチでね…
その後夏に行ったら大分イメージ変わりましたが。
基本的にドイツの観光は冬は避けるべきですね…
マジでなんもいいことないです、寒いし暗いし、観光地も早く閉まっちゃうしさ…

まあそれとして、なんで私がしつこくドレスデンを訪れているかというと
私が研究しているオットー・ディックス(Otto Dix 1891-1969)という画家が活動していた街であり、
今回もアルベルティーヌムの新即物主義展を見に行くためなのでーす。

なので今回はディックスについて紹介したいと思います。
長くなるので暇でヒマで仕方ないときなどにどうぞ。

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ディックスはドレスデン近郊のゲラという町に生まれ、ドレスデンで絵を学び、
「戦争というものをこの目で見てみたい」という動機から
第一次世界大戦にドイツ兵として従軍します。
そこで目の当たりにした戦争の現実を描くことが、その後の彼の生涯を通しての課題となりました。


ディックスの代表作、「戦争」(Der Krieg 1929-32)です

この作品は、16世紀ドイツの画家、グリューネヴァルト(Grünewald, 1470?-1528)の
イーゼンハイム祭壇画
のオマージュだと言われています。

三連祭壇画(トリプティック)の形式で、
ディックスは特にグリューネヴァルトの、死体の表現に注目し、その生々しさや
迫真に迫る迫力を称賛していました。

(キリストをこのような醜悪な死体として描くのは、
ドイツをはじめとした中世の北方ヨーロッパによく見られる表現で、
当時は人間の罪を背負って死んだイエスの痛みに共感し
神との一体化を目指す鞭打ちの苦行なども行われていました)

グリューネヴァルトの祭壇画が、中心に磔刑図を据え、非常に求心力があるのに対し、
ディックスの三連画の中心の絵は、中心に何もない。
なんだかゴチャゴチャしてまとまりがなく、奇妙に見えます。
しかし、目を凝らしてよく見ると左上に瓦礫に引っかかった骸骨が
画面右側を指さしている事に気づきます。
その指の先には銃創で穴だらけになった死体の足が、
さかさまになって、さながら八墓村のようににニョッキリと飛び出しているのが見えます。

グリューネヴァルトの、鞭打ちの傷と死斑でまだらになったキリストの身体を指さす洗礼者ヨハネと
対応しているのがわかるでしょうか?

聖書によると洗礼者ヨハネはキリストが十字架に架けられる前に死んでいるはずなので、
この磔刑図の洗礼者ヨハネは別の次元の存在と見ることができます。
「彼は栄え、私は消えねばならない」
ラテン語で聖書の一節が書き添えられています。
イエスを新約、洗礼者ヨハネを旧約の象徴とし、
ユダヤ教の時代が終わり新しいキリスト教の時代が来ると解釈されています。

同様に、ディックスの死体を指さしている骸骨も、
他の生々しい兵士たちの死体に比べると少し異質でそぐわない感じに見えます。
彼が死体を指さしているのは、いったい何を意味しているのか?
また中央にキリスト=神という中心を据えたグリューネヴァルトに対し、
ディックスの絵には中心がなく、ただ瓦礫と死体の山が積み重なっているだけ。
これは実際の戦場には、よりどころとなる信念や信仰や正義など存在しない、ということなのか…



一次大戦の生々しい記憶も薄れかけた頃、
ディックスの絵はセンセーショナルで、賛否両論を巻き起こしました。
彼は戦争や兵士たちを英雄として称えたり、美談にすることを嫌い、
自分の戦場での体験をできるかぎりリアルに、ありのまま描き出そうとしました。
戦後、街にあふれた傷病兵や物乞い、売春婦たち…
「きれいごと」ではすまない、現実の社会の暗部をえぐりだす。
このコンセプトを、それ以前の表現主義に対し新即物主義と呼びます。
この日本語の訳語がいまいちピンとこないのですが、
もともとのドイツ語ではNeue Sachlichkeitといい、
Sacheは物・事実、Sachlichは事実、Sachalichkeitは客観性、公平さなどを意味します。



しかしディックスのこのやり方は、
次の戦争の準備をしていたナチスにとっては不都合なものでした。
1933年にナチスが政権をとると、
彼の作品は兵役を拒否する非国民的な有害作品であるとされ、
退廃芸術(Entartete Kunst)の烙印を押され、
作品は没収され、ドレスデン・アカデミーからも解雇されてしまいます。

多くの芸術家や知識人たちがナチスの弾圧から逃れるために亡命する中、
ディックスはドイツにとどまり、黙々と制作を続けました。
そして戦争末期の45年には54歳で再びドイツ軍として召集され、フランスで捕虜となり、
戦争が終結して解放されたあとも再びドレスデンに戻り、絵を描き続けます。
この後、それまでのアルテマイスター風の繊細な画風から
プリミティヴやフォーヴィズムのような、単純で力強い画風sにがらりと変わりますが、
「戦争」というテーマは変わりませんでした


戦争と平和(Krieg und Frieden 1960)


ナチス政権下では弾圧されたディックスは、
戦後東西ドイツから表彰され、ゲラの名誉市民となりました。
芸術の評価はその時の社会状況や政治に大きく左右されるという好例でしょう。
ブランデンブルク司教の宮廷画家であり、
当時すでにデューラーやクラナッハらと並ぶ高名だったグリューネヴァルトも、
宗教改革後の農民戦争で新教派に組したことにより異端の烙印を押され、
記録が抹消されその名前が20世紀まで忘れ去られていたのです。
万一ナチスが戦争に勝っていたら、おそらくディックスは再評価されることなく消えていたでしょう。

歴史は常に勝者のものであり、時の権力者に異端とされたものは歴史に残らない
ということを、歴史について考える時には
頭の片隅に入れておかなければなりません。


ディックスの面白いところは、ナチスに退廃芸術家として活動を禁止されながらもドイツにとどまり続け、
再び兵士として従軍しているところです。

ディックスの作品は、反戦の文脈で語られることが多いですが、
私は必ずしも「反戦」という単純な言葉では理解できないと思います。

彼は自分の手記に「戦争というものをこの目で見てみたかった」とかいているように、
なにか「戦争」という途方もない巨大な力に、惹きつけられていた事は間違いないでしょう。
おそらく彼は単純に、芸術家としての純粋な好奇心から
現実の「戦争」というものに興味を持ち、
戦争賛美や反戦などという陳腐なフィルターを一切外した、
ありのままの、見たままの人間のありさま
を描きたかったんじゃないかと思うのです。

それでこそNeue Schalichkeitではないかと。


ファイル 38-2.jpg

ディックスの作品はいろいろな場所で見られますが、
戦争の三連画はドレスデンのアルベルティーヌムの常設コレクションで見られます。
ベルリンのノイエギャラリーもおすすめ。
(写真は全然関係ないゼンパー・オーパー…)


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写真はベルリンのハッケシャー・ホーフ前の信号機です~
お前がいるところベルリンじゃないじゃんという突っ込みはナシでw
一発でドイツってわかるモチーフがなかなか難しくて…
次はブランデンブルク門で作ってみようかな

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一人一人いろいろな考え方を持っていて面白いなあと思います。




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