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国立新美術館 シュルレアリスム展

02 21 *2011 | ■ミュージアム::日本

六本木の新国立美術館で開催されている、
シュルレアリスム展に行ってきました。

今回一番ツボったのがこの作品。

ファイル 11-1.jpg

マックス・エルンストの「ユビュ皇帝」。
調べたらフランスの不条理劇が元ネタらしいです。

これ、MOTHER2のダンジョン男に似てる…!

ポストカード買いました。
部屋に飾ろう~( ´∀`)

あと最初に飾ってあったマン・レイの「埃の培養」。

ファイル 11-3.jpg

ガラスの上に積もった埃を映しただけの写真なのですが、
私の大好きな作家、群ようこさんがエッセイの中で、
毎日掃除をしても埃はたまるので、
放っておいて埃の自主性に任せておき、
埃がまとまって大きくなってきたときに一気に掃除する

と書いていたのを思い出して笑ってしまいましたw
「埃の培養」とか、「埃の自主性に任せる」とかその表現がおかしくてw
これからは埃がたまっていても、
「今ほこりの培養中なんです」と思っておけばOK。


あとはやっぱり、シュルレアリストではキリコが一番好きかな~。
エルンストもいいけど。
キリコの絵って、石膏像とか荒野の中の建物とか、
それ自体は別にグロテスクでもなんでもない
ありふれたものを組み合わせた単純な構図なのに、
見るとものすごい不安になるというか、不気味な印象を受けるんです。
あえて脈絡のないモチーフを組み合わせることで
人の無意識に働きかけるというシュルレアリスム芸術の理念を
とても端的に表わしていて、成功した画家だと思うのです。

直接的に血や死体とかを描いてるわけでもなく、
ありふれたモチーフを組み合わせることで
人の最も根源的な感情である「恐怖」を引き出すって
すごい事だと思いませんか?
私は怖がりなのであまり見ないんですが、
ジャパニーズホラー映画とかもすごいと思う。
なんかこう、人間が生理的に「気持ち悪い」って感じるものを
上手く使って精神にじわじわくる感じが…


日本の美術館の展示は基本的に写真に撮れないのが残念ですが、
今回のシュルレアリスム展はなかなか凝ったディスプレイがあって
面白かったです。
最後のミュージアムショップの中に、
小さな蜘蛛がたかっている鏡(これは苦手な人にはきついかもだけどw)
ロブスターの石膏像?のようなものが置いてあったのが印象的でした。
ロンドンのテート・モダンに置いてあるダリ作のエビ電

ファイル 11-2.jpg

を思い出しましたw


技法の解説などはほとんどなく、
『シュルレアリスム宣言』の中からキーワードとなる部分を抜粋して
フランス語の原文と日本語訳で展示してあったのですが、
ほんっとまわりくどくてわかりづらいもってまわったような文章で、
THE・フランス語!って感じ(笑)
表現が複雑で遠まわしすぎて
日本語に訳しても意味わかんねーよ、みたいなw

フランス語って英語に比べて語彙が少なく、
その代わりに一つの単語に複数の意味を持つ
多義的て示唆的な言語なので、そう考えると
象徴主義やシュルレアリスムがフランス語圏で興ったのは
なるべくしてなったというか、
ドイツ語や英語ではこういう感覚ってあんまりない気がするなー。
ある意味、フランス語それ自体が象徴主義なので、外国語に訳すのは大変そうだ。


展示自体はちょっと量が多くて疲れちゃうって感じかなー。
あと映像作品を部屋の中の、隣接してる二枚の壁に
同時に複数映してたんだけど、
展示としてはおもしろいけどちょっと見づらかった。

でも二度の世界大戦の経験から、
それまで神に代わって信仰されていた人間の「理性」を疑い、無意識の中に
目に見える現実以上の本当の現実、超事実を求める、シュルレアリスムという
当時の時代性みたいなものをすごく感じました。
やっぱり時代の大きな転換期の芸術って面白いよね。

きっと今の時代も、最中にいる私たちにはカオスに見えるけど、
50年後、100年後に歴史として俯瞰したら
何か大きな流れを読むことができるんでしょうね。
それがどういう評価になるのかがとっても興味があります。
現在、間違いなく大きく時代が変化する時期に来ていると思うので。


それにしても、反芸術を標榜したダダイストの作品が
こうして「芸術」として美術館に展示されて、
みんなが神妙な顔をして鑑賞しているのは
なんだか皮肉と言うか、それ自体がシュールな感じがしました。

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